› ねーねー’ず 徒然日記 › 2005年10月2005年10月28日
雲の中...
今日は思いつくまま...
今朝起きたら外が真っ白!
「なんじゃこりゃ~」と思ったら霧。
そういえば、千葉マリンスタジアムで日本シリーズが霧のために、8回コールドになった。
あそこはすぐ横が海だから、海からの冷気がライトの熱で蒸発して、霧になったんだろうけど、
千葉マリン特有の海風がふかなくて、霧が滞留しちゃったんだろうな~
さて、私の無知を暴露してしまうのだが、
ついこの間まで雲と霧が同じものだとは知らなかった。
子供だった頃に「雲に乗ってみたい」と思ったり、
初めて飛行機に乗って、雲の中を通過したことに感動したものだ。
しかし、
私はこれまで何度も雲の間を抜けて歩いていたのだ!!
初めて知った時「な~んだ」と思った。
雲の中を歩くというと楽しそうな感じだが、
霧の中を歩くというと思い悩んでいる感じ
今朝は、霧の中、いや、雲の中を
「今日も頑張るぞ~!!」と胸を張って歩いてきた

今朝起きたら外が真っ白!
「なんじゃこりゃ~」と思ったら霧。
そういえば、千葉マリンスタジアムで日本シリーズが霧のために、8回コールドになった。
あそこはすぐ横が海だから、海からの冷気がライトの熱で蒸発して、霧になったんだろうけど、
千葉マリン特有の海風がふかなくて、霧が滞留しちゃったんだろうな~
さて、私の無知を暴露してしまうのだが、
ついこの間まで雲と霧が同じものだとは知らなかった。

子供だった頃に「雲に乗ってみたい」と思ったり、

初めて飛行機に乗って、雲の中を通過したことに感動したものだ。
しかし、
私はこれまで何度も雲の間を抜けて歩いていたのだ!!
初めて知った時「な~んだ」と思った。
雲の中を歩くというと楽しそうな感じだが、
霧の中を歩くというと思い悩んでいる感じ

今朝は、霧の中、いや、雲の中を
「今日も頑張るぞ~!!」と胸を張って歩いてきた
2005年10月27日
子育てとテレビ
るる丸さんのブログからネタをもらって...
子育てとテレビについて考えたいと思う。
テレビについては賛否両論あるが、
私は活用次第で、テレビも立派な子育てのツールになると思っている。
現在の生活でテレビがない環境は難しい。
だったら、ツールとして使ってしまおうというのが、私の考えである。
但し、私がテレビを見せる際には条件がある。
それは、
親も一緒に観ることである。
子育てをテレビに任せるのではなく、テレビの内容について一緒に議論するのである。
今は子供が小さいので、一緒に歌ったり踊ったり、 「次どうなるんだろうね」「○○がんばれ~」と言うようにしている。
例えば、うちの娘は、「ファインディング ニモ」が大好きで、
毎日1時間30分近く、飽きずにみていられるのである。
(もう数十回も観てしまった...)
途中で止めようものなら大泣きだし、
最近はDVDの操作も覚えてしまったらしく、勝手に電源を入れてしまう。
(高いところに置いてもよじ登り、引出しも片っ端から開けて取ってしまう
)
それなら、と、一緒に何十回でも観てやろうと思った。
それで毎回
「うわ~サメだよ。怖いね~」とか
「ニモ~頑張れ~!」とテレビの中の登場人物(登場魚?)に声援を送っている。
ニモがお父さんと会うシーンは、娘と抱き合って喜ぶ。
そんなことを毎日やっているのである。
娘はニモを観て、魚の名前をたくさん覚えた。
「いっしょ、いーねー」と、親子や友達と一緒にいることが楽しいことだということもわかったようである。
1本の映画から何を学ぶんだろう?
そう思いながら、表情をコロコロと変えながら見入っている娘をみている。
また、歌ったり踊ったりは、
某放送局の幼児向け番組が最適である。
親の知っている童謡にも限界があり、
覚えやすいメロディと振り付けの歌が次から次へと出てくるこの番組は、
子供も大人も楽しめると思う。
そして、終わったらサッサとテレビを切ってしまう。
決してダラダラ見せない。
あくまで、「“何か”を見るために」テレビをつけるということを覚えさせようと思っている。
もっとも、1歳の子供に1時間以上もテレビを見せることがいいことだとは思っていない。
「続きは明日ね」という小さな我慢ができるようになることが、今の最大の課題である。
子育てとテレビについて考えたいと思う。
テレビについては賛否両論あるが、
私は活用次第で、テレビも立派な子育てのツールになると思っている。
現在の生活でテレビがない環境は難しい。
だったら、ツールとして使ってしまおうというのが、私の考えである。
但し、私がテレビを見せる際には条件がある。

それは、
親も一緒に観ることである。
子育てをテレビに任せるのではなく、テレビの内容について一緒に議論するのである。
今は子供が小さいので、一緒に歌ったり踊ったり、 「次どうなるんだろうね」「○○がんばれ~」と言うようにしている。
例えば、うちの娘は、「ファインディング ニモ」が大好きで、
毎日1時間30分近く、飽きずにみていられるのである。
(もう数十回も観てしまった...)
途中で止めようものなら大泣きだし、
最近はDVDの操作も覚えてしまったらしく、勝手に電源を入れてしまう。
(高いところに置いてもよじ登り、引出しも片っ端から開けて取ってしまう
)それなら、と、一緒に何十回でも観てやろうと思った。
それで毎回
「うわ~サメだよ。怖いね~」とか
「ニモ~頑張れ~!」とテレビの中の登場人物(登場魚?)に声援を送っている。
ニモがお父さんと会うシーンは、娘と抱き合って喜ぶ。
そんなことを毎日やっているのである。
娘はニモを観て、魚の名前をたくさん覚えた。
「いっしょ、いーねー」と、親子や友達と一緒にいることが楽しいことだということもわかったようである。
1本の映画から何を学ぶんだろう?
そう思いながら、表情をコロコロと変えながら見入っている娘をみている。
また、歌ったり踊ったりは、
某放送局の幼児向け番組が最適である。
親の知っている童謡にも限界があり、
覚えやすいメロディと振り付けの歌が次から次へと出てくるこの番組は、
子供も大人も楽しめると思う。
そして、終わったらサッサとテレビを切ってしまう。
決してダラダラ見せない。
あくまで、「“何か”を見るために」テレビをつけるということを覚えさせようと思っている。
もっとも、1歳の子供に1時間以上もテレビを見せることがいいことだとは思っていない。
「続きは明日ね」という小さな我慢ができるようになることが、今の最大の課題である。
2005年10月27日
普天間基地移設、日本案で合意
今日のニュースより
「米海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について、米軍キャンプ・シュワブ(名護市など)の沿岸部を一部埋め立てるなどの日本案で合意」
沖縄の米軍基地に関する協議会なるものに、在沖米軍基地や周辺住民の声を熟知している人がいるかどうかわからないが、
(沖縄県外に住む人間の素朴な疑問として受け取ってもらいたい)沖縄に米軍基地は必要なのか?
今回基地を移設するにあたって、沖縄県以外の場所が候補に挙がったことがあるのか?
そもそも日本に巨大な米軍基地が必要なのか?
沖縄本島を那覇から北上すると、
行けども行けども米軍基地、という地帯がある。
初めて沖縄縦断した時に、その広さに驚いた。
沖縄県アメリカ市くらい、いやそれ以上の広さがあるかもしれない。
しかも、そんな広大な基地が数ヶ所あるのだから、さらにビックリだ。
多くの沖縄県外に住む人は、
沖縄の米軍基地の広さをせいぜい「東京ドーム数個分」としか考えていないと思う。
石原都知事の「伊江島に移設すればいいんじゃないの」発言も、
米軍基地と沖縄に住む人たちの生活を実感として感じていないため出たのだろう。
(もっとも石原都知事の発言は普段から過激だが...)
例えば、広島の原爆ドームの近くに軍用施設を作るとなると、
規模に関わらず、全日本人が反対するだろう。
沖縄も、戦争により多くの犠牲者を出したところである。
それどころか、日本で唯一地上戦が行われた場所である。
どこよりも平和を願う土地に、軍隊はいらないはずではないのか。
-どうすれば、一市民の願いが届くのだろう?
「米海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について、米軍キャンプ・シュワブ(名護市など)の沿岸部を一部埋め立てるなどの日本案で合意」
沖縄の米軍基地に関する協議会なるものに、在沖米軍基地や周辺住民の声を熟知している人がいるかどうかわからないが、
(沖縄県外に住む人間の素朴な疑問として受け取ってもらいたい)沖縄に米軍基地は必要なのか?
今回基地を移設するにあたって、沖縄県以外の場所が候補に挙がったことがあるのか?
そもそも日本に巨大な米軍基地が必要なのか?
沖縄本島を那覇から北上すると、
行けども行けども米軍基地、という地帯がある。
初めて沖縄縦断した時に、その広さに驚いた。
沖縄県アメリカ市くらい、いやそれ以上の広さがあるかもしれない。
しかも、そんな広大な基地が数ヶ所あるのだから、さらにビックリだ。
多くの沖縄県外に住む人は、
沖縄の米軍基地の広さをせいぜい「東京ドーム数個分」としか考えていないと思う。
石原都知事の「伊江島に移設すればいいんじゃないの」発言も、
米軍基地と沖縄に住む人たちの生活を実感として感じていないため出たのだろう。
(もっとも石原都知事の発言は普段から過激だが...)
例えば、広島の原爆ドームの近くに軍用施設を作るとなると、
規模に関わらず、全日本人が反対するだろう。
沖縄も、戦争により多くの犠牲者を出したところである。
それどころか、日本で唯一地上戦が行われた場所である。
どこよりも平和を願う土地に、軍隊はいらないはずではないのか。
-どうすれば、一市民の願いが届くのだろう?
2005年10月26日
女が働くということ
いつも「気合気合」と意気込んでいる私だが、
今日はちょっと落ち込み気味...
-というのも、中学以来の友人に、「今やりがいをもって働くこと」を批判されたからである。
話は、私が、ついこの間まで落ち込んでいて、
ずーっと連絡をもらいつつも、連絡もできなかった友人に久しぶりに近況を連絡したメールから始まるのだが。
そのメールの中で、
「私はこういう仕事がしたいけど、今できる環境ではないのがストレス。
転職活動もしたけど、なかなかうまくいかないね~」と書き、
それに対して、
「やりたい仕事はいつでもできるけど、子育ては今しかできないんだよ。
ここはあやねーねーが仕事を我慢するべき」と言われてしまった。
彼女は、寿退社→結婚後3年は2人で→20代で第1子出産(女の子)という夢をクリアしてきた。
#正確にいうと、出産は30歳になって2ヵ月後だったけど。
今も専業主婦として、お子さんの習い事の送迎に明け暮れているらしいが、幸せそうである。
私の夢は、一生外の世界と接して、社会のために何か貢献できることをしていく、ということである。
具体的には、「人」というカテゴリーで、仕事をし続けていきたい。
そして、今環境としては恵まれているが、私の方向性と異なる仕事をしているので、
早く方向修正したいと思っている。
それを我慢するべき、と言われてしまった。
時々「子供がかわいそうだ」と言われる。
でも、「お母さん本当は働きたいんだけど、あなたのために我慢したのよ」ということがいいことなんだろうか?
我慢している母親を見て育つよりも、活き活きとしているお母さんを見て育つ方が、子供にとってプラスではないだろうか?
生活のため、自分自身のため... 働く理由は人それぞれあると思うし、働かない理由も様々だと思う。
いずれにせよ、「仕方なく」という状況がいちばん悪影響を与えるのではないだろうか?
やりがいをもって、目標を持って、自分の選んだ道を進んでいくのが、
どのような道を選ぼうとも、子供にとってプラスの影響を与えられるのではないか。
自分の夢のために、子供を放っておくというのではない。
自分の夢を追い続けさせてもらうのだから、一緒にいる限られた時間は子供のためにつかっていきたい。
一緒にいる時間の長さだけが子供への愛情のパラメーターではないと信じている。
限られた時間の中で、濃縮して愛情をかけてもいいじゃないか?
-なんて強がってみたものの、
本当は子供は寂しくて、私にそばにいて欲しいのかな?
そんなことをふと思った。

<ていく いっと いーじ~ ニャー@竹富島・カイジ浜>
今日はちょっと落ち込み気味...

-というのも、中学以来の友人に、「今やりがいをもって働くこと」を批判されたからである。
話は、私が、ついこの間まで落ち込んでいて、
ずーっと連絡をもらいつつも、連絡もできなかった友人に久しぶりに近況を連絡したメールから始まるのだが。
そのメールの中で、
「私はこういう仕事がしたいけど、今できる環境ではないのがストレス。
転職活動もしたけど、なかなかうまくいかないね~」と書き、
それに対して、
「やりたい仕事はいつでもできるけど、子育ては今しかできないんだよ。
ここはあやねーねーが仕事を我慢するべき」と言われてしまった。
彼女は、寿退社→結婚後3年は2人で→20代で第1子出産(女の子)という夢をクリアしてきた。
#正確にいうと、出産は30歳になって2ヵ月後だったけど。
今も専業主婦として、お子さんの習い事の送迎に明け暮れているらしいが、幸せそうである。
私の夢は、一生外の世界と接して、社会のために何か貢献できることをしていく、ということである。
具体的には、「人」というカテゴリーで、仕事をし続けていきたい。
そして、今環境としては恵まれているが、私の方向性と異なる仕事をしているので、
早く方向修正したいと思っている。
それを我慢するべき、と言われてしまった。
時々「子供がかわいそうだ」と言われる。
でも、「お母さん本当は働きたいんだけど、あなたのために我慢したのよ」ということがいいことなんだろうか?
我慢している母親を見て育つよりも、活き活きとしているお母さんを見て育つ方が、子供にとってプラスではないだろうか?
生活のため、自分自身のため... 働く理由は人それぞれあると思うし、働かない理由も様々だと思う。
いずれにせよ、「仕方なく」という状況がいちばん悪影響を与えるのではないだろうか?
やりがいをもって、目標を持って、自分の選んだ道を進んでいくのが、
どのような道を選ぼうとも、子供にとってプラスの影響を与えられるのではないか。
自分の夢のために、子供を放っておくというのではない。
自分の夢を追い続けさせてもらうのだから、一緒にいる限られた時間は子供のためにつかっていきたい。
一緒にいる時間の長さだけが子供への愛情のパラメーターではないと信じている。
限られた時間の中で、濃縮して愛情をかけてもいいじゃないか?
-なんて強がってみたものの、
本当は子供は寂しくて、私にそばにいて欲しいのかな?
そんなことをふと思った。

<ていく いっと いーじ~ ニャー@竹富島・カイジ浜>
2005年10月24日
エイサー初体験?
昨日こちらのてぃーだブログにも登録してある「チバりよ」さんからご紹介いただき、
近くの体育館で行われているエイサーの練習を見学させてもらった。
ただ見ているだけ、
ねね殿に生のエイサーを近くで見せたかっただけ、
と思っていたが、
パーランクを持たせてもらい、基本姿勢も教えてもらった。
当たり前のことではあるが、
踊るための基本姿勢があるのだ。
基本の姿勢がうまくできてこそ、踊りそのものがきれいに決まるのであるが、
どうしても華やかな部分だけに目が行ってしまうが、
基本姿勢ができてこそ、踊りが決まるのだということを再認識した。
基本姿勢は結構つらかった...
しかし、その地道な努力があってこそ、だと思った。
あ~、私が格好よく踊れる日はいつになるのだろうか???
(すっかりやる気満々
)
近くの体育館で行われているエイサーの練習を見学させてもらった。
ただ見ているだけ、
ねね殿に生のエイサーを近くで見せたかっただけ、
と思っていたが、
パーランクを持たせてもらい、基本姿勢も教えてもらった。
当たり前のことではあるが、
踊るための基本姿勢があるのだ。
基本の姿勢がうまくできてこそ、踊りそのものがきれいに決まるのであるが、
どうしても華やかな部分だけに目が行ってしまうが、
基本姿勢ができてこそ、踊りが決まるのだということを再認識した。

基本姿勢は結構つらかった...

しかし、その地道な努力があってこそ、だと思った。
あ~、私が格好よく踊れる日はいつになるのだろうか???
(すっかりやる気満々
) 2005年10月21日
「こんにちは」「ありがとう」「ごめんなさい」
昨日に続いて、あやねーねーの子育て論。
毎朝出勤時に近所の小学生とすれ違う。
どこの家の子か知らないけれど、必ず「おはよう」「いってらっしゃい」と声をかけるようにしている。
恥ずかしそうに「おはようございます」という子もいるが、
挨拶をしない子も多い。
そういえば、大人でも挨拶をしない人が増えたな~
私は以前、会社で人事の責任者代理みたいな立場で仕事をしていた。
会社のお偉いサンから「挨拶がなってないから、全社員に注意しろ」と言われ、
「挨拶しましょう!」みたいな通達を出したことが何度かある。
良識あるはずの大人相手に今さら「挨拶しよう」もないので、
「挨拶は社会生活の基本です」みたいなことを書き、
決して「お前ら、挨拶がなってないぞ」みたいなことは書かなかった。
でも、最近の人事からの通達では「挨拶ができていない」みたいなことをストレートに書いているから、
前よりひどくなってるのかな~?
人間関係の基本は挨拶だと思う。
「おはよう」と言われれば、さわやかな気持ちにならないことはないだろうし、
「ありがとう」と言われれば嬉しいし、
「ごめんなさい」と謝られれば、怒りも和らげられるだろう。
私は、ねね殿が生まれた時から、
かなりいろいろなことを喋っている。
もちろん、挨拶もしている。
朝、昼寝などから起きたら「おはよう」
何かしてくれたりしたら「ありがとう」&頭なでなで or ギュ~(抱きしめ)
こちらに非があったら「ごめんなさい」
最低でもこれだけは欠かさずしているし、ねね殿にもして欲しいと思っている。
ねね殿は・・・というと、
今朝起きた時は「ンー、小さいミモ(=ニモ)」(何でニモなんだよ?
)
何かしてくれた、という意識がまだない。
「ごめんなさい」は、こちらが「ごめんなさいは?」というと、真顔で深々と頭を下げる。
う~ん、まだまだ。。。
毎朝出勤時に近所の小学生とすれ違う。
どこの家の子か知らないけれど、必ず「おはよう」「いってらっしゃい」と声をかけるようにしている。
恥ずかしそうに「おはようございます」という子もいるが、
挨拶をしない子も多い。
そういえば、大人でも挨拶をしない人が増えたな~
私は以前、会社で人事の責任者代理みたいな立場で仕事をしていた。
会社のお偉いサンから「挨拶がなってないから、全社員に注意しろ」と言われ、
「挨拶しましょう!」みたいな通達を出したことが何度かある。
良識あるはずの大人相手に今さら「挨拶しよう」もないので、
「挨拶は社会生活の基本です」みたいなことを書き、
決して「お前ら、挨拶がなってないぞ」みたいなことは書かなかった。
でも、最近の人事からの通達では「挨拶ができていない」みたいなことをストレートに書いているから、
前よりひどくなってるのかな~?

人間関係の基本は挨拶だと思う。
「おはよう」と言われれば、さわやかな気持ちにならないことはないだろうし、
「ありがとう」と言われれば嬉しいし、
「ごめんなさい」と謝られれば、怒りも和らげられるだろう。
私は、ねね殿が生まれた時から、
かなりいろいろなことを喋っている。
もちろん、挨拶もしている。
朝、昼寝などから起きたら「おはよう」
何かしてくれたりしたら「ありがとう」&頭なでなで or ギュ~(抱きしめ)

こちらに非があったら「ごめんなさい」
最低でもこれだけは欠かさずしているし、ねね殿にもして欲しいと思っている。
ねね殿は・・・というと、
今朝起きた時は「ンー、小さいミモ(=ニモ)」(何でニモなんだよ?
)何かしてくれた、という意識がまだない。
「ごめんなさい」は、こちらが「ごめんなさいは?」というと、真顔で深々と頭を下げる。
う~ん、まだまだ。。。
2005年10月20日
しつけと体罰
ある育児関係の掲示板を見ていたら、こんな相談があった。
「2歳の娘が暴力を奮うので困っています。そんな娘を、私も時々叩いてしまいます。
皆『そういう時期だから仕方ない』といいますが、それで片付けたくないんです!
でも精神的に限界です。どうしたらいいでしょうか?」
ねね殿も暴力的である。
叩く、噛み付く、押し倒す、後ろから抱きついて羽交い絞めにする...
しかし、よく見ていると、一応理由がある。
きちんと話ができれば、きっとこう言うだろう。
「だって、ねねのもの取ったんだもん」
「一緒に遊びたかったんだもん」
言葉でのコミュニケーションが取れない子供同士だから、
伝えたいことが伝わらない苛立ちもあるだろう。
今はある程度仕方のない時期なのかもしれないが...
他人に対して危害を加えるねね殿を現行犯で見つけた時、
私は手を叩いたり、しがみついて動けないようにしたりする。
意識しているのは、
「親の感情で態度を変えない」「痛みをわからせる」ということである。
そして、叩くと同時に「今痛かったね。お友達も痛かったよ。ごめんなさいしようね」と言い、
ねね殿を叩いた私も、ねね殿に謝るようにしている。
また、子供がきちんと意思表示をするまでは、
何を望んでいるかがわかっても、すぐにはやってあげないようにしている。
最近は、だいぶ言葉が出るようになったので、
子供が「ンー、ンー」ともの欲しそうに言うと、「何して欲しいの?」と聞き、
「○○が欲しいの?『○○ちょーだい」って言おうね」と促すようにしている。
もちろん、一度で完璧にできることはないので、毎日同じことをしている。
ところで、先ほどの掲示板だが、
「絶対叩いたりしません!」「叩いて教えるのは動物と同じです!」「ママだけはあなたを叩かない、と思ってもらわないとかわいそう」というレスが多かった。
「痛みを知らない人間は、人の痛みもわからない」
というのが、私の持論である。
特に言葉でうまくコミュニケーションの取れない子供には、
暴力で、無理やり意思を伝えようとすることがよくないことだと、
痛みを持って教えることもありだと思っている。
(それがすべてではないけど)
昔はよく先生に「愛の鞭だ」と叩かれた。
(昔から理不尽に威張り散らす上級生に向かっていく傾向にあったので... 今も変わらないが...
)
昔は、体罰もきちんと意味があったな~と思う。
体罰を与える大人も、与えられる子供も、その意味をちゃんとわかっていた。
最近は、体罰と暴力が混同してしまっているのではないだろうか?
大体、友達に暴力を奮うのはよくないが、
ゲームで、自分以外の敵を殴ったり殺したりするのはいいのか?
それっておかしくない?
「暴力がダメ」というなら、一貫して暴力を排除しなくちゃダメだと思うのだが、いかがなものか?
仕事の中で、悩み、傷ついた人を大勢見てきた。
同じ人事の中には、「傷つくのは、自分が弱いからじゃないの?」という人もいた。
しかし、大事なのは、なぜ傷ついたのか、乗り越えるためにはどうしたらいいのか、を考えることだと思う
。
傷ついたことのない人間には、傷の痛さや、傷の原因など考える必要もないことなのだろう。
そのセリフを聞いて以来、彼女とは腹を割って話さなくなった。
親の発言としてどうかとも思われるだろうが、
ねね殿には、たくさん傷ついて欲しい。
そして、傷つかないためにはどうしたらいいか、
傷を乗り越えるためにはどうしたらいいか、
考える人間になって欲しい。
他人に痛い思いをさせたねね殿に痛い思いをさせている母も、
本当はとーっても心が痛いんだからね。
今時「体罰もあり」なんて言おうものなら、
周りの人たちに「虐待だ」と思われかねないのだから。
「2歳の娘が暴力を奮うので困っています。そんな娘を、私も時々叩いてしまいます。
皆『そういう時期だから仕方ない』といいますが、それで片付けたくないんです!
でも精神的に限界です。どうしたらいいでしょうか?」
ねね殿も暴力的である。
叩く、噛み付く、押し倒す、後ろから抱きついて羽交い絞めにする...
しかし、よく見ていると、一応理由がある。
きちんと話ができれば、きっとこう言うだろう。
「だって、ねねのもの取ったんだもん」
「一緒に遊びたかったんだもん」
言葉でのコミュニケーションが取れない子供同士だから、
伝えたいことが伝わらない苛立ちもあるだろう。
今はある程度仕方のない時期なのかもしれないが...
他人に対して危害を加えるねね殿を現行犯で見つけた時、
私は手を叩いたり、しがみついて動けないようにしたりする。
意識しているのは、
「親の感情で態度を変えない」「痛みをわからせる」ということである。
そして、叩くと同時に「今痛かったね。お友達も痛かったよ。ごめんなさいしようね」と言い、
ねね殿を叩いた私も、ねね殿に謝るようにしている。
また、子供がきちんと意思表示をするまでは、
何を望んでいるかがわかっても、すぐにはやってあげないようにしている。
最近は、だいぶ言葉が出るようになったので、
子供が「ンー、ンー」ともの欲しそうに言うと、「何して欲しいの?」と聞き、
「○○が欲しいの?『○○ちょーだい」って言おうね」と促すようにしている。
もちろん、一度で完璧にできることはないので、毎日同じことをしている。
ところで、先ほどの掲示板だが、
「絶対叩いたりしません!」「叩いて教えるのは動物と同じです!」「ママだけはあなたを叩かない、と思ってもらわないとかわいそう」というレスが多かった。
「痛みを知らない人間は、人の痛みもわからない」
というのが、私の持論である。
特に言葉でうまくコミュニケーションの取れない子供には、
暴力で、無理やり意思を伝えようとすることがよくないことだと、
痛みを持って教えることもありだと思っている。
(それがすべてではないけど)
昔はよく先生に「愛の鞭だ」と叩かれた。
(昔から理不尽に威張り散らす上級生に向かっていく傾向にあったので... 今も変わらないが...
)昔は、体罰もきちんと意味があったな~と思う。
体罰を与える大人も、与えられる子供も、その意味をちゃんとわかっていた。
最近は、体罰と暴力が混同してしまっているのではないだろうか?
大体、友達に暴力を奮うのはよくないが、
ゲームで、自分以外の敵を殴ったり殺したりするのはいいのか?
それっておかしくない?
「暴力がダメ」というなら、一貫して暴力を排除しなくちゃダメだと思うのだが、いかがなものか?
仕事の中で、悩み、傷ついた人を大勢見てきた。
同じ人事の中には、「傷つくのは、自分が弱いからじゃないの?」という人もいた。
しかし、大事なのは、なぜ傷ついたのか、乗り越えるためにはどうしたらいいのか、を考えることだと思う
。
傷ついたことのない人間には、傷の痛さや、傷の原因など考える必要もないことなのだろう。
そのセリフを聞いて以来、彼女とは腹を割って話さなくなった。
親の発言としてどうかとも思われるだろうが、
ねね殿には、たくさん傷ついて欲しい。
そして、傷つかないためにはどうしたらいいか、
傷を乗り越えるためにはどうしたらいいか、
考える人間になって欲しい。
他人に痛い思いをさせたねね殿に痛い思いをさせている母も、
本当はとーっても心が痛いんだからね。
今時「体罰もあり」なんて言おうものなら、
周りの人たちに「虐待だ」と思われかねないのだから。
2005年10月19日
ロッテ優勝
一昨晩、千葉ロッテ マリーンズが31年ぶりにリーグ優勝を果たした。
特別ファンだと言うわけではないが、千葉県民として嬉しい気持ちがないわけではない。
(いろんなところで、優勝記念セールやってるし... でも昨日から3日限定だから関係ないか...)
しかし、私が注目しているのは、ロッテが広報担当者をマスコミ出身者から採用し、
積極的な広報活動を行ったことである。
千葉県民といえども、ロッテのファンである知り合いはあまりいなかった。
(私が熱狂的な野球ファンでないため、知らないだけか?)
それが、今年は「実はロッテファンでした」という人が続々と現れてきたのである。
たまたま春先に見た報道番組で、
「今年のロッテは違う」と、この広報担当者がクローズアップされていた。
彼は、メディアに取り上げてもらう機会を増やすことと合わせて、
地元千葉県民に積極的にアピールを行ってきたそうだ。
確かにホームとアウェイでは、選手の気持ちにも違いがあり、
応援の多いホームでは、選手も実力以上の力が働くのであろう。
その声援が多いほど、その力が多く働くのだろう。
31年もの間、優勝しておらず、
元々千葉とも縁が薄かったチームが、
やっと千葉にも根付いたか?という感じである。
(いや、私の知らないところで、とっくの昔にロッテは千葉のチームだったかもしれないが...)
ロッテの優勝を見て、
改めて「人の力」の大きさを感じた。
特別ファンだと言うわけではないが、千葉県民として嬉しい気持ちがないわけではない。
(いろんなところで、優勝記念セールやってるし... でも昨日から3日限定だから関係ないか...)
しかし、私が注目しているのは、ロッテが広報担当者をマスコミ出身者から採用し、
積極的な広報活動を行ったことである。
千葉県民といえども、ロッテのファンである知り合いはあまりいなかった。
(私が熱狂的な野球ファンでないため、知らないだけか?)
それが、今年は「実はロッテファンでした」という人が続々と現れてきたのである。
たまたま春先に見た報道番組で、
「今年のロッテは違う」と、この広報担当者がクローズアップされていた。
彼は、メディアに取り上げてもらう機会を増やすことと合わせて、
地元千葉県民に積極的にアピールを行ってきたそうだ。
確かにホームとアウェイでは、選手の気持ちにも違いがあり、
応援の多いホームでは、選手も実力以上の力が働くのであろう。
その声援が多いほど、その力が多く働くのだろう。
31年もの間、優勝しておらず、
元々千葉とも縁が薄かったチームが、
やっと千葉にも根付いたか?という感じである。
(いや、私の知らないところで、とっくの昔にロッテは千葉のチームだったかもしれないが...)
ロッテの優勝を見て、
改めて「人の力」の大きさを感じた。
2005年10月18日
2007年問題 - ノウハウの継承
「2007年問題」というのが、クローズアップされている。
団塊の世代(昭和22年生まれがもっとも多いらしい)が定年を迎え、
知識や技術のノウハウの継承や後進の育成ができないまま、大量の人材が退職してしまうというものである。
私の会社は平均年齢30歳前後なので、2007年は普通にやってきて、普通に去っていく(だろう)。
しかし、この問題については、考えさせられるものがある。
-というのは、知識や技術の継承がされない以前に、
最近は考えて、作り出すことができる人材が少ないというのだ。
情報システムの世界では、
パッケージが主流であるように思える。
「○○コンサルタント」と肩書きのある人たちが来て、
「こんなことができるんです!」「こんな便利なんです!」を連発し、
高額な「コンサルタントフィー」なるものを取って、
“入れてしまったらさようなら”的なサービスが多いように思える。
結果、システムに踊らされてはいないだろうか?
パッケージソフトが普及してきたのは、
1980年代以降、一人に1台のPCが当たり前になってきた頃かと思う。
それまでは、手作業で、事細かにやらざるを得なかったことが、
ボタンひとつで誰でもできるようになった。
その結果、業務の引継ぎが簡素化されてはいないか?
私は、これまで新人時代以来10ン年ぶりに「人から業務を引き継ぐ」ということをやった。
「これはこのシステムで云々・・・。あとはよろしく」というような感じで、
引継ぎはほとんど1日もかからず。
後は「わからなかったら聞いて」だった。
私が新人の頃は、先輩について、怒られながらやったな~
(だから、数年前新人を指導した時、横について注意しながら仕事を教えたら煙たがられたんだ~
)
システムによる業務の簡素化はいいことだと思う。
しかし、業務だけでなく、職場における人間関係まで簡素化されていないか?
2007年、多くの“人”を失うこの機会に、もう一度職場の人間関係を考えてみたいと思った。
団塊の世代(昭和22年生まれがもっとも多いらしい)が定年を迎え、
知識や技術のノウハウの継承や後進の育成ができないまま、大量の人材が退職してしまうというものである。
私の会社は平均年齢30歳前後なので、2007年は普通にやってきて、普通に去っていく(だろう)。
しかし、この問題については、考えさせられるものがある。
-というのは、知識や技術の継承がされない以前に、
最近は考えて、作り出すことができる人材が少ないというのだ。
情報システムの世界では、
パッケージが主流であるように思える。
「○○コンサルタント」と肩書きのある人たちが来て、
「こんなことができるんです!」「こんな便利なんです!」を連発し、
高額な「コンサルタントフィー」なるものを取って、
“入れてしまったらさようなら”的なサービスが多いように思える。
結果、システムに踊らされてはいないだろうか?
パッケージソフトが普及してきたのは、
1980年代以降、一人に1台のPCが当たり前になってきた頃かと思う。
それまでは、手作業で、事細かにやらざるを得なかったことが、
ボタンひとつで誰でもできるようになった。
その結果、業務の引継ぎが簡素化されてはいないか?
私は、これまで新人時代以来10ン年ぶりに「人から業務を引き継ぐ」ということをやった。
「これはこのシステムで云々・・・。あとはよろしく」というような感じで、
引継ぎはほとんど1日もかからず。
後は「わからなかったら聞いて」だった。
私が新人の頃は、先輩について、怒られながらやったな~

(だから、数年前新人を指導した時、横について注意しながら仕事を教えたら煙たがられたんだ~
)システムによる業務の簡素化はいいことだと思う。
しかし、業務だけでなく、職場における人間関係まで簡素化されていないか?
2007年、多くの“人”を失うこの機会に、もう一度職場の人間関係を考えてみたいと思った。
2005年10月17日
親の介護について考えた
先週末父が入院した。
先週水曜日の朝、高熱が出て、意識が朦朧とし、
まっすぐ立つこともできなかったらしく、
救急車を呼ぼうかどうしようかと思った母が電話をしてきた。
出社前だったので、とりあえず実家(車で2、3分)に行って、
「救急であればすぐ診てくれるから」という理由もあり、救急車を呼んだ。
私は、会社を休んで実家でねね殿と留守番。
病院で意識がはっきりとし、その日の検査でははっきりとわからなかったらしく、
父の強い希望もあって、一旦帰ったのだが、
翌日また通院し、検査した結果、入院となった。
幸い、今入院してきちんと治療すれば、命に関わる大病ではないのだが。
今まで「親が親(私の祖父母)を介護する」ことは意識の中にあったが、
「自分が親を介護する」ということは、まったくと言っていいほど意識していなかった。
#それどころか、家事も育児も親任せ...
しかし、両親も年を取った。
子供が「お願い、お父さん!お母さん!」という時期は、とーっくに過ぎているのである。
「親が倒れたら仕事どうしよう」
「とりあえずねね殿を保育園に入れよう(前々からこんな話はあったのだが、「祖父母が近くにいると、入園条件に合わないのでは?」と、躊躇していた)
「旦那の両親が倒れたら、向こうに行くのかな~(内心「嫌だな~
、仕事もあるし...」)」
「向こうに行ったら、うちの親はどうなるの???」
「沖縄移住計画はどうなる~?????」
などなど・・・
今まで考えもしなかったことが頭の中に、一度に浮かんできた。
親はいつまで経っても親だけど、
親子の関係は、お互いの年とともに変化していくんだな~
今親が元気でいてくれることに感謝しつつ、親に頼られる自分になりたいと思った
先週水曜日の朝、高熱が出て、意識が朦朧とし、
まっすぐ立つこともできなかったらしく、
救急車を呼ぼうかどうしようかと思った母が電話をしてきた。
出社前だったので、とりあえず実家(車で2、3分)に行って、
「救急であればすぐ診てくれるから」という理由もあり、救急車を呼んだ。
私は、会社を休んで実家でねね殿と留守番。
病院で意識がはっきりとし、その日の検査でははっきりとわからなかったらしく、
父の強い希望もあって、一旦帰ったのだが、
翌日また通院し、検査した結果、入院となった。
幸い、今入院してきちんと治療すれば、命に関わる大病ではないのだが。
今まで「親が親(私の祖父母)を介護する」ことは意識の中にあったが、
「自分が親を介護する」ということは、まったくと言っていいほど意識していなかった。
#それどころか、家事も育児も親任せ...

しかし、両親も年を取った。
子供が「お願い、お父さん!お母さん!」という時期は、とーっくに過ぎているのである。
「親が倒れたら仕事どうしよう」
「とりあえずねね殿を保育園に入れよう(前々からこんな話はあったのだが、「祖父母が近くにいると、入園条件に合わないのでは?」と、躊躇していた)
「旦那の両親が倒れたら、向こうに行くのかな~(内心「嫌だな~
、仕事もあるし...」)」「向こうに行ったら、うちの親はどうなるの???」
「沖縄移住計画はどうなる~?????」
などなど・・・
今まで考えもしなかったことが頭の中に、一度に浮かんできた。
親はいつまで経っても親だけど、
親子の関係は、お互いの年とともに変化していくんだな~
今親が元気でいてくれることに感謝しつつ、親に頼られる自分になりたいと思った
2005年10月06日
起業した友達
大学時代の友人がお店をやっていることは知っていた。
が、卒業以来、何となく音信普通(同じ体育会で、割と、もともとマメな二人ではなかったので、何となくご無沙汰になってしまった)で、風の噂でお店をオープンしたことを知った。
たまたま同じ体育会(アーチェリー部でーす。政界で“ご活躍”の「あ」の人の後輩なのだ!)の同期の結婚祝の幹事を私がやったこともあって、
ほっんとーに久しぶりに連絡した。
(最初はほんとに業務連絡
)
そのメールにURLが書いてあったので、見てみた。
ベビー、子供、婦人服を主に扱うお店らしい。
それほど大きな店ではなさそうだが、
立派な「一国一城」の主である。
事業の規模なんて関係ない。
「何かを始めた」ということが重要なのだと思う。
そんな彼女の力強さを感じつつ、
腐りかけの自分に喝を入れようと思った。

[Daybreak @TAKETOMIJIMA]
が、卒業以来、何となく音信普通(同じ体育会で、割と、もともとマメな二人ではなかったので、何となくご無沙汰になってしまった)で、風の噂でお店をオープンしたことを知った。
たまたま同じ体育会(アーチェリー部でーす。政界で“ご活躍”の「あ」の人の後輩なのだ!)の同期の結婚祝の幹事を私がやったこともあって、
ほっんとーに久しぶりに連絡した。
(最初はほんとに業務連絡
)そのメールにURLが書いてあったので、見てみた。
ベビー、子供、婦人服を主に扱うお店らしい。
それほど大きな店ではなさそうだが、
立派な「一国一城」の主である。
事業の規模なんて関係ない。
「何かを始めた」ということが重要なのだと思う。
そんな彼女の力強さを感じつつ、
腐りかけの自分に喝を入れようと思った。

[Daybreak @TAKETOMIJIMA]
2005年10月06日
働くということ
この不況なご時世で、不快に思われる人もいるかもしれないが...
はっきりいって、“手持ち無沙汰”である。
それでも、妊娠中、体調が悪い私を休職させてくれ、
長々と育児休業を取った後に、また雇ってくれている会社には感謝しなくちゃいけないとわかっちゃいるが、
でも、やっぱり“暇”なのである。
それでも、山のように来る請求書の契約内容を整理したり、
今まで「○○さんの仕事」というように、人に結びついていた仕事を「○○グループの仕事」とするように整理したり、と、何とか仕事を見つけつつ、やっている。
そんなことを地道にやりながら、
「何で働いているんだろう?」と考える。
学生の時の就職面接で、
「何のために働くのか?」という定番な質問がある。
「はい!自己実現と、社会のために役に立ちたいからです!」なんて、
就職マニュアルの棒読みをしていたのだが、
はっきり言って「自己実現って何?」「社会のために役に立つって、あんた何ができるの?」と
あの頃の自分に問いたい。
「自己実現」?
自分のやりたいことを極めたい。
「満足」なんて一生来ないかもしれないけど、
それでも自分の求める理想形に近づけるように日々努力し続けたい。
「社会のために役に立つ」?
自分が何かをしたことで、「ありがとう」と思ってくれる人がいればいい。
お金とか、名声よりも、
私との出会いを大切に思ってくれる瞬間があればいい。
#贅沢を言えば、心で思うだけでなく、言葉や態度で欲しいものだが...
その瞬間を実感したい。
それを求めるためには、いわゆるサラリーマンとか、自営業とかでなくてもいいと思う。
主婦だって、
家事や育児を極めると思えるし、
子供の笑顔があればいいと思うだろう。
でも、私は基本的に淋しがりで贅沢なので、
多くの人と接して、多くの実感が欲しいと思うのである。
数週間前に、
「転職だ~」と4社に書類を出してみた。
結果全滅。
2社は書類選考、2社は一次面接でダメだった...
ダメな理由はいくつかあると思うが、
評価すべきポイントもあったかもしれない(なかったかもしれないが)。
まずは、自分が評価できるポイントを探そう。
それから、ダメな理由を探そう。
そして、二つを比べて、自分の伸ばすべきところを、どんどん伸ばしていこう。
働くおかーさんの後姿を子供に見せるんだ!
愛情って、時間に比例するものじゃない!
いかに子供の心に響くか?
それが問題だ!-と思っている

↑私の今ってこんな感じ...かな [MAO no kyuden @MIYAKOJIMA]
はっきりいって、“手持ち無沙汰”である。
それでも、妊娠中、体調が悪い私を休職させてくれ、
長々と育児休業を取った後に、また雇ってくれている会社には感謝しなくちゃいけないとわかっちゃいるが、
でも、やっぱり“暇”なのである。
それでも、山のように来る請求書の契約内容を整理したり、
今まで「○○さんの仕事」というように、人に結びついていた仕事を「○○グループの仕事」とするように整理したり、と、何とか仕事を見つけつつ、やっている。
そんなことを地道にやりながら、
「何で働いているんだろう?」と考える。
学生の時の就職面接で、
「何のために働くのか?」という定番な質問がある。
「はい!自己実現と、社会のために役に立ちたいからです!」なんて、
就職マニュアルの棒読みをしていたのだが、
はっきり言って「自己実現って何?」「社会のために役に立つって、あんた何ができるの?」と
あの頃の自分に問いたい。
「自己実現」?
自分のやりたいことを極めたい。
「満足」なんて一生来ないかもしれないけど、
それでも自分の求める理想形に近づけるように日々努力し続けたい。
「社会のために役に立つ」?
自分が何かをしたことで、「ありがとう」と思ってくれる人がいればいい。
お金とか、名声よりも、
私との出会いを大切に思ってくれる瞬間があればいい。
#贅沢を言えば、心で思うだけでなく、言葉や態度で欲しいものだが...
その瞬間を実感したい。
それを求めるためには、いわゆるサラリーマンとか、自営業とかでなくてもいいと思う。
主婦だって、
家事や育児を極めると思えるし、
子供の笑顔があればいいと思うだろう。
でも、私は基本的に淋しがりで贅沢なので、
多くの人と接して、多くの実感が欲しいと思うのである。
数週間前に、
「転職だ~」と4社に書類を出してみた。
結果全滅。
2社は書類選考、2社は一次面接でダメだった...
ダメな理由はいくつかあると思うが、
評価すべきポイントもあったかもしれない(なかったかもしれないが)。
まずは、自分が評価できるポイントを探そう。
それから、ダメな理由を探そう。
そして、二つを比べて、自分の伸ばすべきところを、どんどん伸ばしていこう。
働くおかーさんの後姿を子供に見せるんだ!
愛情って、時間に比例するものじゃない!
いかに子供の心に響くか?
それが問題だ!-と思っている

↑私の今ってこんな感じ...かな [MAO no kyuden @MIYAKOJIMA]
2005年10月03日
秋の人事異動
10月1日といえば下半期の始まりで、
人事異動が集中する時期である(と思う)。
私の会社の周りでは大きな異動もなく、来月も変わらない顔ぶれで仕事ができるのだが、
お世話になっているダイビング用品のショップの店長が異動することになったそうだ。
彼が店長になる前からの知り合いで、かれこれ4年以上のお付き合いである。
一店員の頃から、カメラ器材に関する知識はピカイチで、
カメラビギナーの私も、見かけだけはプロ級、しかもオリジナリティあふれる仕様にしてもらったのである。
(名づけて「フジテレビモデル」!)
同じ都内なので、
会おうと思えばいつでも会えるのだが、
やはり通い慣れた店なので、店舗そのものにも愛着がある。
“勝手知ったる我が家”ではないけれど。

春の人事異動は、心機一転!という明るい感じだが、
秋の人事異動は、なぜか寂しい気持ちが残るものである(と思うのは私だけ?)。
でも、彼の前途が洋々たることを祈っている今日この頃である。
#週末だし、異動初日から忙しいんだろうな~
人事異動が集中する時期である(と思う)。
私の会社の周りでは大きな異動もなく、来月も変わらない顔ぶれで仕事ができるのだが、
お世話になっているダイビング用品のショップの店長が異動することになったそうだ。
彼が店長になる前からの知り合いで、かれこれ4年以上のお付き合いである。
一店員の頃から、カメラ器材に関する知識はピカイチで、
カメラビギナーの私も、見かけだけはプロ級、しかもオリジナリティあふれる仕様にしてもらったのである。
(名づけて「フジテレビモデル」!)
同じ都内なので、
会おうと思えばいつでも会えるのだが、
やはり通い慣れた店なので、店舗そのものにも愛着がある。
“勝手知ったる我が家”ではないけれど。

春の人事異動は、心機一転!という明るい感じだが、
秋の人事異動は、なぜか寂しい気持ちが残るものである(と思うのは私だけ?)。
でも、彼の前途が洋々たることを祈っている今日この頃である。
#週末だし、異動初日から忙しいんだろうな~




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